11.24 Today is the anniversary of Freddie Mercury’s death

11月24日は クイーン の フレディ・マーキュリー氏の命日
1991年死去

I Was Born To Love You

クイーンのボーカリスト。「ボヘミアン・ラプソディ」「輝ける7つの海」「キラー・クイーン」「愛にすべてを」「懐かしのラヴァー・ボーイ」「伝説のチャンピオン」「バイシクル・レース」「ドント・ストップ・ミー・ナウ」「愛という名の欲望」「プレイ・ザ・ゲーム」と、グレイテスト・ヒッツに収録されている17曲のうち、10曲はフレディが作曲している。親日家であり、来日公演時以外にも1986年秋にお忍びで来日し、骨董品などを買い求めて行った。伊万里焼コレクターであり、ロンドンの自宅には日本庭園を設けていた。また、新宿二丁目には行き着けのバーがあったという。日本語にも通じており、来日公演時のMCの半分は日本語だった。アルバム『バルセロナ』に収録されている「La Japonaise」の歌詞の大部分は日本語で書かれている。

1991年11月24日夜に、フレディはケンジントンの自宅で死去した。45歳という若さだった。死因は、エイズによる気管支肺炎である。彼の死を伝える報道は、11月25日の午前までに、新聞とテレビによって報じられた。フレディの遺言により、遺体は遺族により火葬され散骨された。その場所は明らかにされていないが、一説によれば、彼の自宅の庭に埋められているともされている。フレディの死にともない、クイーンは活動を休止した。1992年4月20日には残されたクイーンのメンバーが中心となり、イギリス・ロンドンのウェンブリー・スタジアムフレディ・マーキュリー追悼コンサートが行われた。また、「バルセロナ」 を歌う予定だった同年夏のバルセロナオリンピック開会式では、ホセ・カレーラスがフレディの代わりを務めた。死後、生前に残した遺言にしたがってクイーンでもっとも売れた曲である「ボヘミアン・ラプソディ」の印税がエイズ基金「テレンス・ヒギンズ・トラスト」に寄付された。また、それを受けて再発されたシングルCDはイギリス史上初の同一曲2度の1位を獲得した。

2006年10月21日には、ドキュメンタリー映画「フレディ・マーキュリー~人生と歌を愛した男」が公開された。この映画はDVDとして発売されている。

死後、FMA(Freddie Mercury Association、フレディ・マーキュリー基金)というHIV感染症に関する治療費の寄付を募る団体がつくられたが、2008年12月末日にて活動を休止した。なお、FMAは日本独自で活動していた団体である。

他に、フレディ・マーキュリー追悼コンサート(The Freddie Mercury Tribute Concert for AIDS Awareness)の収益を元に立ち上げられた財団、マーキュリー・フェニックス・トラスト(The Mercury Phoenix Trust)は、現在でも活動している。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です