11.29 Today is the anniversary of George Harrison’s death

11月29日はビートルズのジョージ・ハリスン氏の命日 2001年58歳で死去

映画『ジョージ・ハリスン』予告編

ビートルズ解散後もソロミュージシャンとして活動。ビートルズ時代のジョージの作品の特徴として、メロディーラインにシンコペーションを多用した曲が多いことが挙げられる(「タックスマン」「アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー」「嘘つき女」「恋をするなら」など)。インド楽器の導入と同様、ジョンやポールとの違いを打ち出そうとする意識が強かったと思われる。活動中期に至ってジョージ作の「恋をするなら」と「嘘つき女」がアルバムラバー・ソウル』に収録され、「タックスマン」がアルバム『リボルバー』のA面1曲目を飾るなど次第に頭角を現し、後期になると「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」等の楽曲を完成させる。授与された大英帝国五等勲章について苦笑しながら「僕たちは国のために尽くしてたくさん金を儲けてやったのに、国がくれたものは戦争で人を殺した連中と同じ野暮ったいヒモの付いたチンケなメダルだけさ」と述べている。1991年12月、日本だけでエリック・クラプトンのジョイント・ツアーが行われる。17年ぶりのコンサートツアーであり、25年ぶりの日本公演でもあった。当時、息子を事故で亡くした直後だったクラプトンによるハリスン本人への申し入れによって実現したもので、コンサートはクラプトンと彼のバンドによる全面的なバックアップのもとで行われた。1989年のスター、1990年のマッカートニーに次いで、元ビートルズが3年連続で来日したことになる。結局これが、ビートルズ解散後のハリスンの2度目で最後のライヴツアーとなる。クラプトンのコーナー以外のほぼ全容は、翌年発売の2枚組のライヴ盤『ライヴ・イン・ジャパン』に収められている。翌1992年春には、ほぼ同じ曲目と同じバンド(クラプトンは不参加)で自らが支持する政党の支援を目的としたコンサートを本国で行う。同年10月16日にはボブ・ディランのレコードデビュー30周年記念コンサートに参加するが、これがジョージにとっての生涯最後のライヴ・パフォーマンスとなった。

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